ご無沙汰しておりました 還暦爺KASAです。
最近ブログよりも閑古鳥が鳴いているtwitterの対応策に気が向いていましてw
ボットの研究などしておりました(メドはたっておりませんww)
こっちも閑古鳥が鳴いてる状況でしたのでOSシリーズ再開いたします(誰か見てるのかw)
VAX/VMS
ある意味今のコンピュータの基準となったVAX-11/780という「ミニコン」と言われる括りのコンピューターに搭載されていたOSです
なんの基準かと言いますと今のコンピュータのCPUパワーの表現の1つとしてMIPSというのがありますが
「VAX-11/780で稼動するDhrystoneの性能が1MIPS」となっているからです。
そういう事でなくても当時のミニコンのスタンダード機だったと思います。
私が入社した時にはこいつの廉価版(VAX-11/750)をつかっていて約0.6MIPSといわれてました。
それに5,6台のターミナル繋いでみんなで仲良く仕事してましたからね、今からは想像できないような状況です。
学習用で人気の「RaspberryPi 2」(ちょっと前のやつ)で約1000MIPS程度、だいぶ前の「Intel Core i7 Extreme Edition搭載PC」ですら150000MIPSとかになってました。
この辺はムーアの法則にそって進化してきたんでしょうが、時代の流れを感じますね
(DhrystoneのテストはCPUのキャッシュ増加に伴い従来の性能とは違うものになり、あまり有効な数値ではなくなりました)
このミニコン(VAX)はHDDの交換が容易でVMS以外にもUNIX-VやBSDなんかと時間を決めて交換して使ってました。
良くこのHDDの交換をさせられたものです。HDDと言っても数十MBしかなく、むき出しの直径30cmの円盤が数枚積まれたやつでした。
当時会社ではVMSは汎用のコンパイル機として使われてました。
VMS上でFortranやCでコードを書き、コンパイルエラーがなくなったソースをターゲットに持っていく感じです。
当時はFortranのコンパイラとして良く利用してました。
個人的なことでは、別の三菱製ミニコンがあったのですが、こいつはLANに接続されておらず、いちいちテープに書き込んでVAXで読み込むという手間なことをやっていたのでお互いのターミナルラインを直結し、データ転送できるケーブルとプログラムを作ってテープを使わなくて済むようにしました。大量のデータはテープが早いですがソースを探しながら転送したい場合に便利に使ってました。 これの応用編で当時普及が始まったPC上でコーディングしたものをVAX/VMSに送るやつも作ったのですが、結局コンパイル自体はVMS上で行う必要があったのでソース修正が面倒なのでほとんど使いませんでした。
そういえばシステム更新の仕事で古いミニコンの専用言語から別の新しいミニコン用の言語にプログラムの修正作業をこのVMS上でやった時がありました。
皆さん真面目にコツコツと1行1行ルールに従って手作業で作業する中、こそっとコード変換ツールを作って一気に作業を終わらせたことがあります。(前にブログに書いたような)
もちろん100%は無理で、多少は手で修正は必要でしたが、それを見た先輩たちもこぞってこのツールを利用したのは言うまでもありません。
その時に、「先輩といっても大したことない、コンピュータを使う人間が自分の作業が手作業っていうのに矛盾を感じてないくらいやし」と思いましたね
この頃から先輩をちょっとなめた感じの人になっていったようなw (立派な社会人の皆さんはツールを作ってもこんな人間になってはいけません)
ほかにはGUIがほとんど普及していないこの時期にcursesみたいなライブラリでCGI画面作ったりしたのも良い思い出です。
これが世に有名なVT-100端末と呼ばれるCUI端末の基準となったものです。
OSとは全く関係ないですが、このVAXのターミナルのキーボードがとっても重くて指の力が必要たった記憶があります。
そのせいでガシガシ打つキーボードが好きになったように思います。
この後世の中は「ミニコン」から「ワークステーション」に代わっていきます。
まあ「ミニコン」は制御分野などでしばらくは生き長らえていました。
そういえば
https://h50146.www5.hpe.com/products/software/oe/openvms/history/vaxvms20/pdf/vmsbookj.pdf
あたりにVAX/VMSの歴史がまとまってますので興味がある方はどうぞ
次はこのVAX上で動いていたUNIX-SysVとUNIX-BSDあたりでしょうか
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